雨ニモマケズ

2011年(平成23年)4月11日、ワシントンのナショナル大聖堂で東日本大震災で犠牲となった者を悼む、宗派を超えた追悼式が開かれました。

サミュエル・ロイドⅢ世大聖堂長によって、復興への祈りが捧げられた後に、『雨ニモマケズ』が選ばれて英語で朗読されました。

雨ニモマケズ(原文)

雨ニモマケズ            雨にも負けず

風ニモマケズ            風にも負けず

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ      雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫ナカラダヲモチ         丈夫なからだをもち

慾ハナク              慾はなく

決シテ瞋ラズ            決して怒らず

イツモシヅカニワラッテヰル     いつも静かに笑っている

一日ニ玄米四合ト          一日に玄米四合と

味噌ト少シノ野菜ヲタベ       味噌と少しの野菜を食べ

アラユルコトヲ           あらゆることを

ジブンヲカンジョウニ入レズニ    自分を勘定に入れずに

ヨクミキキシワカリ         よく見聞きし分かり

ソシテワスレズ           そして忘れず

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ         野原の松の林の陰の

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ      小さな萱ぶきの小屋にいて

東ニ病気ノコドモアレバ       東に病気の子供あれば

行ッテ看病シテヤリ         行って看病してやり

西ニツカレタ母アレバ        西に疲れた母あれば

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ       行ってその稲の束を負い

南ニ死ニサウナ人アレバ       南に死にそうな人あれば

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ  行ってこわがらなくてもいいといい

北ニケンクヮヤソショウガアレバ   北に喧嘩や訴訟があれば

ツマラナイカラヤメロトイヒ     つまらないからやめろといい

ヒデリノトキハナミダヲナガシ    日照りの時は涙を流し

サムサノナツハオロオロアルキ    寒さの夏はおろおろ歩き

ミンナニデクノボートヨバレ     みんなにでくのぼーと呼ばれ

ホメラレモセズ           褒められもせず

クニモサレズ            苦にもされず

サウイフモノニ           そういうものに

ワタシハナリタイ          わたしはなりたい

雨ニモマケズ解釈と評価

雨ニモマケズは、賢治が亡くなってから発見されたということもありカタカナ表記というこもあって「ヒデリ」か「ヒドリ」か。どちらか?!ということも話されています。

それによって、私たちが小学生の時に「雨ニモマケズ」を読んできましたが、ちょっと違った解釈になりそうです。

「ヒデリ」か「ヒドリ」か

最初の発表した時から「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」とされている箇所は、手帳の原文では「ヒドリノ…」と書かれています。これは弟の清六をはじめとした、歴代の全集編集者が誤記とみなして校訂してきたものですが、1980年代後半に花巻農学校での賢治の教え子の一人が農家にとっては日照は喜ぶべきものであって、「ヒドリ」は日雇い仕事の「日取り」を意味するもので「日雇い仕事をせざるを得ないような厳しい暮らしのとき」と原文通りに読むべきであるとの説を提起しました。

これに対して、「校本宮澤賢治全集」の編集者で草稿調査を行った詩人の入沢康夫が次ののような、校訂の根拠を提示しています。

  • 1 他の詩で「ひど」と書いて消し、「ひでり」に直しているものがある。賢治には「デ」を「ド」に誤記する書き癖があった。
  • 2 次の行「サムサノナツハオロオロアルキ」と対照にはならず、本作の他の箇所でも多用されている対照の手法からここだけはずれてしまう。
  • 3 確かに農家にとって日照は重要であるが、過剰な日照による旱魃へのおそれは賢治も複数の作品で取り上げている。

研究者の間ではこの説明に沿って「ヒデリ」(日照り)への校訂がほぼ定着していますが、愛好者のレベルでは「ヒドリ」と読むべきだという人たちが存在しています。

玄米四合

太平洋戦争終戦直後の1947年(昭和22年)の文部省の国定教科書に、「雨ニモマケズ」の作品が掲載されていま。

「日本の食糧事情から贅沢と思われる」という理由で、GHQの統制下にあった民間情報教育局(CIE)の係官は一度掲載を却下しましたが、その後「玄米四合」を「玄米三合」に変更することを条件として許可したとされています。国定教科書は賢治の遺族の了解を得てから、石森延男の編集によって三合に変更されました。延男は賢治の作品を改ざんするのは忍びなかったが、係官は当時の食料事情を持ち出してきたこともあって、四合から三合に改ざんすることを同意しました。

井伏鱒二は1965年(昭和40年)に発表した連載小説『黒い雨』の中で、戦時中の出来事という設定で国家が国定教科書を作る際に、「雨ニモマケズ」作品で玄米四合を三合に書き換えたエピソードを含めて、国家がそんな改ざんをすれば、いずれ子供たちは国の発言を信用しなくなると批判する女性と、そのような流言蜚語は罪であると咎める「その筋の人」を登場させています。戦前までの日本の労働者は、わずかな副食物で大量の米飯を摂取する食習慣でした。一例としてあげるなら、当時の日本陸軍の食事規定は、一回の食事につき主食として三食とも麦飯2合、副食として朝食は汁物(味噌汁・澄まし汁など)と漬物、昼食および夕食は肉や魚を含んだ少量のおかず一品と漬け物でした。献立例をあげるなら、「アジフライ一枚に塩ゆでキャベツ」と漬物です。 

「雨ニモマケズ」論争

戦前から戦中にかけて宮沢賢治の研究と紹介を行った哲学者の谷川徹三は、著作や講演で「雨ニモマケズ」をメインとしてテーマ的な側面から高く評価していました。そして、賢治に対して「偉人」的評価の象徴としてこの作品を捉える流れを先導しました。

これに対して戦後、賢治の置かれた社会的立場と文学性を踏まえた評論を行った詩人の中村稔は「雨ニモマケズ」について「ふと書き落とした過失のように思われる」と評して、否定的な立場を表明しました。1963年(昭和38年)谷川が雑誌『世界』に寄稿した「われはこれ塔建つるもの」の中で、中村の論考を批判します。中村も『文藝』に反論して「再び『雨ニモマケズ』について」を掲載したことから、世間ではこれを「雨ニモマケズ」論争と称しました。この「論争」は賢治の作品の受容では、どの点を重視するかという差から生まれたもので、研究史の上では積極的な意義を持つものではありませんでした。中村は2012年(平成24年)に刊行した回想録の中で「不毛な論争だった」と述べています。

“Not losing to the Rain”

not losing to the rain 雨にも負けず          

not losing to the wind 風にも負けず

not losing to the snow nor to summer's heat 雪にも夏の暑さにも負けぬ

with a strong body 丈夫なからだをもち

unfettered by desire 慾はなく

never losing temper 決して怒らず

cultivating a quiet joy いつも静かに笑っている

every day four bowls of brown rice 一日に玄米四合と

miso and some vegetables to eat 味噌と少しの野菜を食べ

in everything あらゆることを

count yourself last and put others before you 自分を勘定に入れずに

watching and listening, and understanding よく見聞きし分かり

and never forgetting そして忘れず

in the shade of the woods of the pines of the fields 野原の松の林の陰の

being in a little thatched hut 小さな萱ぶきの小屋にいて

if there is a sick child to the east 東に病気の子供あれば

going and nursing over them 行って看病してやり

if there is a tired mother to the west 西に疲れた母あれば

going and shouldering her sheaf of rice 行ってその稲の束を負い

if there is someone near death to the south 南に死にそうな人あれば

going and saying there's no need to be afraid 行ってこわがらなくてもいいといい

if there is a quarrel or a suit to the north 北に喧嘩や訴訟があれば

telling them to leave off with such waste つまらないからやめろといい

when there's drought, shedding tears of sympathy 日照りの時は涙を流し

when the summer's cold, wandering upset 寒さの夏はおろおろ歩き

called a blockhead by everyone みんなにでくのぼーと呼ばれ

without being praised 褒められもせず

without being blamed 苦にもされず

such a person そういうものに

I want to become わたしはなりたい

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