賢治のエピソード&作品

今ではベジタリアンと聞いてもあまり驚くことはありませんが、宮沢賢治が生きた時代を考えるととても珍しい菜食主義者としての顔を賢治は持っています。

食生活

法華経信仰に入った後に、1918年(大正7年)5月19日付の友人保阪嘉内に宛てた手紙で「私は春から生物のからだを食うのをやめました」と書いています。その考え方は童話「ビジテリアン大祭」に垣間見ることができます。そして宮沢賢治は当時としては非常に珍しい菜食主義としても知られています。宮沢賢治の研究者(堀尾青史)によると年譜では1918年4月頃から菜食生活を開始していて、それ以後5年間続けたと記されています。

保阪嘉内の書簡からは、動物性食品を摂ることを避けようとする意思を確認することができます。同時にあくまで肉食をネガティブにつかむ文脈の中ではありますが「けれども先日社会と連絡をとるおまじないにまぐろのさしみを数切食べました。また茶碗むしをさじでかきまわしました。」と記しています。

また、1921年(大正10年)8月11日付の関徳弥宛の手紙には「7月の初め頃から二十五日頃へかけて、一寸肉食(豚の脂、塩鱈の干物など)をしたのです。それは第一は私の感情があまり冬のやうな工合になってしまって燃えるような生理的の衝動なんか感じないように思われたので、こんな事では一人の心をも理解し兼ねると思って断然幾片かの豚の脂、塩鱈の干物などを食べた為にそれをきっかけにして脚が悪くなったのでした。然るに肉食をしたって別段感情が変るわけでもありません。今はもうすっかり逆戻りをしました」と記しています。

1918年から5年間菜食主義生活を送っていましたが、その期間中でも肉食の体験があったことがうかがい知れます。ただ、1918年暮れに妹トシの看病のため上京した時には、宿泊先の旅館で菜食主義の賢治のために精進料理を出してくれたという伝記の記述もあるので、書簡での言及をみても、この肉食は例外的なものであったと考えられます。

賢治の好物

農学校教師時代(堀尾青史の記述によると1923年以降)は菜食主義を止めていて、吹張町7-17に店を構える「やぶ屋」のえび天そばが好物でした。そしてえび天そばと、三ツ矢サイダーを注文していました。当時はよく「ブッシュに行くぞ」と言って、生徒を「やぶ屋」へと連れ出しています。(「藪(やぶ)」を英語やドイツ語に訳すと「ブッシュ」)賢治が通った「やぶ屋」は現存していて(店舗は当時の建物ではない)、同店のホームページには賢治の逸話が掲載されています。

双葉町にあった「嘉司屋」(かじや)の鶏肉南蛮を好んでいました。店の告知で「宮沢賢治さんが愛した柏南蛮」と店内メニューでは「賢治さんが愛した かしわ南蛮」と書かれているように、鶏肉が入った蕎麦も好んでいたことが紹介されているほかにも、の経営者から宮沢賢治は臨終の月(1933年/昭和8年9月)にも、病床より蕎麦を出前で求めて、おいしそうに食べた、という話を聞くことができました。吹張町5-19に店を構える寿司と鰻の店「新ばし」(しんばし)のウナギも好物でした。宮沢賢治の親戚にあたる関徳弥の話には「しん橋のウナギを食べたりするときは相好をくずした」という逸話があります。また、新ばしの店の紹介では「賢治の大好物は花巻の料亭「新ばし」のソバが五銭のころの五十銭の鰻丼で、いつも大ニコニコ顔で、食べていました」とも記されています。研究者の板谷栄城は、賢治が飲酒や喫煙をしていたこともあるという証言も踏まえた上で、「賢治の名高い菜食主義が生涯を通じてのものではなく、時には平気で肉食をしたことや、すすめられれば盃も手にした」と記していて、「賢治を論ずるのに、『一日に玄コメ4合』だ『生涯を通じての菜食主義』だといった話をもち出す必要はありません」と結論づけています。

ただ、農学校を退職した後の独居自炊時代は菜食主義を研究していて、賢治が粗食をしていたことが複数の人物によって証言されています。賢治の伝記研究をしていた堀尾青史は「菜食主義が体力の回復をはばんだといえるだろう」と、早世した原因の一つが食生活にあったことを指摘しています。

作品の数々

童話:長編

  • 『銀河鉄道の夜』
  • 『風の又三郎』
  • 『ポラーノの広場』
  • 『グスコーブドリの伝記』※生前発表作品

童話:短編

  • 『貝の火』
  • 『よだかの星』
  • 『カイロ団長』
  • 『フランドン農学校の豚』
  • 『ツェねずみ』
  • 『クンねずみ』
  • 『鳥箱先生とフウねずみ』
  • 『雁の童子』
  • 『雪渡り』※
  • 『やまなし』※
  • 『氷河鼠の毛皮』
  • 『シグナルとシグナレス』
  • 『オツベルと象』
  • 『ざしき童子のはなし』
  • 『猫の事務所』
  • 『ビジテリアン大祭』
  • 『土神と狐』
  • 『楢ノ木大学士の野宿』
  • 『マリヴロンと少女』
  • 『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』
  • 『虔十公園林』
  • 『なめとこ山の熊』
  • 『北守将軍と三人兄弟の医者』
  • 『セロ弾きのゴーシュ』
  • 『さるのこしかけ』

題名の前の漢数字は、賢治が原稿に記載していた作品番号になっています。

『心象スケッチ 春と修羅』所収

  • 『序』
  • 『屈折率』
  • 『春と修羅』
  • 『真空溶媒』
  • 『小岩井農場』
  • 『岩手山』
  • 『高原』
  • 『原体剣舞連』
  • 『永訣の朝』
  • 『無声慟哭』
  • 『青森挽歌』

「春と修羅 第二集」所収

  • 『一六 五輪峠』
  • 『一九 晴天恣意』
  • 『一六六 薤露青』
  • 『三一三 産業組合青年会』
  • 『三一四 〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕』
  • 『三八四 告別』

「春と修羅 第二集補遺」所収

  • 『葱嶺(パミール)先生の散歩』

「春と修羅 第三集」所収

  • 『七〇九 春』
  • 『一〇〇八 〔土も掘るだろう〕』
  • 『一〇八二 〔あすこの田はねえ〕』
  • 『一〇二〇 野の師父』
  • 『一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く』
  • 『一〇八八 〔もうはたらくな〕』

「口語詩稿」所収

  • 『第三芸術』
  • 『火祭』
  • 『牧歌』
  • 『地主』
  • 『夜』

「疾中」所収

  • 『病床』
  • 『眼にて云う』
  • 『〔丁 丁 丁 丁 丁 〕』
  • 『〔風がおもてで呼んでいる〕』
  • 『〔疾いま革まり来て〕』
  • 『〔手は熱く足はなゆれど〕』
  • 『夜』

「補遺詩篇I」所収

  • 『〔雨ニモマケズ〕』

「文語詩稿 五十篇」所収

  • 『〔いたつきてゆめみなやみし〕』
  • 『〔水と濃きなだれの風や〕』

「文語詩稿 一百篇」所収

「文語詩未定稿」所収

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