念願の執筆

自己顕示欲が非常に強い岡本かの子は、小説家として有名になることを望んでいました。そして一平もそれは同じです。

小説家として

かの子が小説に専心したのは晩年の数年間です。1936年(昭和11年)に芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』で作家的出発を果たします。短歌では与謝野晶子に勝てないと思ったかの子は小説家として名声を高めようと思ったのでしょうか。文壇にデビューする為に、いろんな手段を使ったと言われています。1922年(大正11年)に菊池寛を通じて、芥川龍之介に原稿を見てもらおうとしましたが、芥川龍之介からは黙殺。そして川端康成に近づいて『文学界』へ金銭的な援助をします。

デビュー作で人気作家になったかの子は、さらに『文学界』へ金銭的な援助をして著名作家たちの気を引こうとしました。同人たちは一気にかの子に好意的になったといいます。かの子の見た目は、ぶくぶく太っていてブヨブヨの贅肉がついています。そして真っ白に顔を塗りたくり、厚化粧をしてギラギラの衣装を身につけていて、そのかの子の見た目は、おぞましい容貌でした。十本の指に八つの指輪をつけて、ドシドシと歩いている姿は、化け物女として世間の眼に映っていたといいます。

ある作家は「じつに醜婦でしたよ。それも普通にしていればいいのに、白粉デコデコでね、着物の好みなんかもじつに悪くて」と、ぼろくそに言っています。兄を通じて親交があった谷崎潤一郎からかの子の小説は一番影響を受けていましたが、谷崎潤一郎は、かの子のことを徹底的に嫌いました。谷崎潤一郎に原稿を見てもらおうと思ったかの子は、原稿と一緒に反物を添えて谷崎潤一郎へ送りますが谷崎の怒りを買うことになり、反物ごと送り返されています。三島由紀夫は「嫌いでしてね、かの子が。お給仕に出たときも一言も口をきかなかった」と三島由紀夫は谷崎潤一郎の様子を語るほど、谷崎潤一郎はかの子を嫌い続けたそうです。嫌われながらも、どこ吹く風のかの子は創作活動を続けています。パリに残した太郎への愛を、ナルシシズムに支えられた母と子の姿で描いた『母子叙情』。自由と虚無感を描き、当時の批評家に絶賛された『老妓抄』。女性が主体となって生きる姿を、諸行無常の流転を描いて確立させた『生々流転』などは代表作にもなりました。かの子の小説の構想には、夫の一平が手伝っていたと言われています。また文章も手直ししていたといいます。一平はかの子が小説家として成功することに、演出家としてかけていたのだと思われます。かの子が小説を書いて名声を得られるためにと、小説の題材になるようにといろいろ手助けしていました。1939年(昭和14年)に慶応大生と油壷へ出かけ、油壷の宿で脳溢血で倒れて自宅で療養していましたが、2月に入って病状がして2月18日に49歳で死去しました。

かの子が亡くなったときに、夫の一平は憔悴しきっていたと言います。そして追悼文を書いています。他のどんな人が書いた追悼文よりも一平が書いた追悼文は胸に迫るものがあったと言います。一平は周りがどんなに醜い気持ち悪いと嫌悪感を募らせても、生涯かの子を「お嬢さん」と呼んだそうです。一平はかの子の死去の2年後に再婚して4人の子供を授かりました。

かの子作品

  • 1936年(昭和11年)・・・鶴は病みき(信正社)
  • 1937年(昭和12年)・・・真夏の夜の夢(版画荘)
  • 1937年(昭和12年)・・・母子叙情(創元社)
  • 1937年(昭和12年)・・・金魚撩乱(中央公論社)
  • 1938年(昭和13年)・・・老妓抄(中央公論社)
  • 1938年(昭和13年)・・・河明り(創元社)
  • 1939年(昭和14年)・・・丸の内草話(青年書房)
  • 1940年(昭和15年)・・・生々流転(改造社)
  • 1943年(昭和18年)・・・女体開顕(中央公論社)

かの子歌集

  • 1912年(大正元年)・・・かろきねたみ(青鞜社)
  • 1919年(大正8年)・・・愛のなやみ(愛のなやみ)
  • 1926年(大正15年)・・・浴身(越山堂)
  • 1929年(昭和4年)・・・わが最終歌集(改造社)
  • 1940年(昭和15年)・・・新選岡本かの子集(新潮社)

かの子随筆・創作集など

  • 1929年(昭和4年)・・・散華抄(大雄閣)
  • 1934年(昭和9年)・・・観音経 付法華経(大東出版社)
  • 1934年(昭和9年)・・・仏教読本(大東出版社)
  • 1934年(昭和9年)・・・人生論(建設社)
  • 1938年(昭和13年)・・・やがて五月に(竹村書房)
  • 1938年(昭和13年)・・・巴里祭(青木書店)
  • 1942年(昭和17年)・・・観音経を語る(大東出版社)

代表歌

  • かの子よ汝が琵琶の実のごと明るき瞳このごろやせて何かなげける
  • かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ
  • 櫻ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり

評伝など

  • 1942年(昭和17年)・・・かの子の記(岡本一平:小学館) 
  • 1979年(昭和54年)・・・昭和母の手紙 母かの子・父一平への追想(岡本太郎:チクマ秀版社)
  • 1979年(昭和54年)・・・かの子撩乱(瀬戸内晴美:講談社)のち文庫
  • 1995年(平成7年)・・・一平かの子 心に生きる凄い父母(岡本太郎:チクマ秀版社)
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